大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台家庭裁判所 昭和47年(家)1367号 審判 1973年3月01日

申立人 松田とし子(仮名)

相手方 松田幸之助(仮名)

主文

相手方は申立人に対し、金八万二、五〇〇円を本審判確定と同時に、並びに昭和四八年三月一日以降同居にいたるまで毎月金一万一、〇〇〇円を毎月末日かぎり持参または送金して支払え。

理由

一、申立人は、「相手方は申立人に対し婚姻費用として毎月金三万五、〇〇〇円を支払え」との審判を求めた。

二、(1) 筆頭者松田幸之助の戸籍謄本、角田市長作成の資産所得証明書二通、相手方提出にかかる各登記簿謄本、調査官菅野康雄作成の調査報告書二通、件外井上サチ子、同松田俊也、申立人および相手方に対する各審問の結果を総合すれば、次の事実が認められる。

相手方(明治四〇年四月一〇日生)は、昭和五、六年頃申立人(明治四二年四月一〇日生)と結婚し、(届出は昭和一九年一二月一八日)夫婦共に相手方の家業である農業に従事していたが、その後○○銅山や○○の火薬廠に勤めたのち、昭和一九年頃から再び実家に帰つて農業に従事して今日に至つたこと、相手方方では、当初わずかの土地を有する小作農であつたが、その後相手方が家督相続によつて田畑を取得し、更に戦後の農地開放もあつて今日田一二筆合計六、一九八平方メートル、畑一一筆合計六、七八六平方メートル、山林二筆合計五、七七八平方メートルを所有し後記紛争にいたるまで、相手方、申立人、俊也夫婦の協力でこれを維持したこと、この間長男俊也(現在四二歳)、長女ふみ(現在四〇歳)二女セツ子(昭和一三年六月二七日生)、三女洋子(昭和一七年九月一七日生)、四女サチ子(昭和二二年五月二〇日生)、二男勝幸(昭和二五年五月二五日生)をもうけ、長男および長女は高小卒であるが、その外の子はすべて高校を卒業させ、長男は嫁京子(現在三九歳)と結婚させて夫婦共に家業の農業に従事させ、娘達四名ともそれぞれ勤人に嫁がせ後記紛争に至るまでは家族円満な生活を送つていたこと、長男俊也夫婦は結婚後一〇年余り経過しても子供ができなかつたことから、相手方一家では昭和四〇年頃一同相談のうえ二男勝幸を長男俊也夫婦の養子として松田家を継がせることにしたが、勝幸は農業を嫌い昭和四四年三月高校卒業後は会社に勤務し、昭和四六年一月頃一たん勤めを止めて家業に従事したが現代風でわがままなところもあり、世代の違う相手方や俊也と何かと意見を異にし、同年五月頃田植の最中に女友達とデートにでかけたことから相手方や俊也と口論したこともあつて、同年六月には家業を捨てて上京し会社に勤務するようになつたこと、そのことを契機として相手方と俊也は申立人の勝幸に対する態度が良くないから家出したものと考え申立人に対し不満をいだき、申立人もまた相手方および俊也の態度が悪いから勝幸が家出したものと考え、互いに感情的に円満さを欠くようになつたこと、また申立人は、それまで申立人が松田家の家計を担当(いわゆる財布持ち)していたのに、勝幸が家を出たころから相手方がこれを取り上げて自ら財布持ちをするようになり、また同年二月に長男夫婦が里子(現在三歳)を家に入れた際、申立人には何らの相談がなかつたこともあつて、相手方や俊也に対し一層の不満をいだき相互の意思の疎通を欠くようになつたこと、こうして時折口論したり、相手方が申立人を殴つたりするようなこともあつたが、親族や娘達の口ぞえで別居にまではたちいたらなかつたが、昭和四七年七月一四日ささいなことから互いに口論となり相手方が申立人に暴力をふるい、俊也もこれに加勢したため、申立人は家出して四女サチ子方に身を寄せ今日まで別居生活を送つていること、そして申立人が同年八月三日相手方に対し婚姻費用の支払いを求めて本件調停を申し立て数回にわたつて調停を試みたが、相手方が右調停の申し立て前後である同月一日および翌九月八日の二回にわたつてその所有の不動産の大半(居住家屋、宅地一、六〇六平方メートル、山林二筆全部、田五筆合計一、九五二平方メートル、畑九筆合計六、一八六平方メートル)を俊也名義としたことから、相手方の謝罪にもかかわらず、申立人の不信をぬぐうことができず、右調停は同年一一月二日不調に終つたこと、そして俊也以外の子供達も相手方や俊也に対し同様不信をいだき、毎月二、〇〇〇円宛の支出をして申立人を援助し、相手方と俊也対申立人とその他の子供達との争いにまで発展し互いに感情的しこりを除くには相当の努力を要する状態にあること、

(2) 以上の認定事実によると、申立人が相手方と別居するにいたつた原因は、申立人が勝幸の家出にこだわり家族に対し感情的言動をとり、いまだに家庭の和合について自覚しないことも一因となつているが、必ずしも申立人のみにその責任があるわけではなく、相手方においても自己の所有名義の不動産であるとはいえ申立人に何らの相談をせず、本件紛争中に俊也にそれらを贈与するなど家庭の平和についての配慮が不充分であつたのであるから、一半の責任があるものというべきであり、相互に同居が困難な事情にいたらしめたのであるから、相手方は夫として第一次的に妻である申立人の婚姻費用を分担すべき責任を負うものといわなければならない。

(3) そして、前掲各証拠によれば、申立人は四女サチ子方に身を寄せ無職無収入であつて、俊也以外の子らの援助によつて生活しているもので生活費分担能力はないものと認められる。他方相手方方では相手方が世帯主となり、俊也夫婦と共に前記田畑(俊也が第三者から取得した田畑もある)を耕作し乳牛八頭を飼育し、全体として農業収益および酪農収益を合わせて年間九〇万円ないし一〇〇万円の粗収入を上げていること、そして食糧は自給しているので、肥料や飼料等の経費を控除しても少なくとも昭和四六年度申告所得額金七五万九、〇〇八円(相手方申告分七三万七、〇〇八円および俊也申告分二万二、〇〇〇円の合計額)を下らない所得を得ているものと推認することができる。

ところで、本件は申立人の相手方に対する婚姻費用の請求であつて俊也に対する扶養請求を含むものではないので、厳密には相手方のみの収入を確定してこれを前提として申立人との関係で分担を決すべきであると一応考えられないでもない。しかしながら前記市役所に対する申告額は一応相手方と俊也とに区別されているが、前記のとおり相手方と子である俊也夫婦とが共同して稼働し世帯として取得した所得を一応区別したにすぎないので相手方名義の申告分を相手方個人の所得と断定することも相当でなく、しかも相手方世帯内にあつて相手方は老齢のため軽作業に従事し、俊也夫婦が主たる労働担当者と考えられ、また前記不動産を使用して農業経営がなりたつており、その不動産の大半は登記簿上俊也名義になつたとはいえ相手方名義のものもあり、また俊也名義になつたものもその取得の過程において申立人の寄与分を看過することは相当でなく、これらの諸事情がからみあつていることを考慮すべきであるから、相手方世帯収入のうち相手方の帰属分のみを抽出することは極めて困難であり、かつ、もともと家産的性質をもつ資産収入であるから、対第三者との取引関係と異なり婚姻費用を決する前提としてこれを截然と区別することは相当とは考えられない。むしろ本件婚姻費用の分担を決するに当り俊也夫婦の収入も含めて同一世帯内の収入として各世帯員の生活費にこれを分配するのが相当である。

(4) そこで、相手方世帯の前記所得年間金七五万九、〇〇八円を前提として、いわゆる労研方式によつて、申立人の生活費を計算すれば次のとおりである。

(1)  松田家の収入 年間 七五万九、〇〇〇円

月間 六万三、二五〇円

(2)  消費単位 申立人(六〇歳以上の主婦) 六五

相手方(〃の中等作業従事者) 一〇〇

長男(六〇歳未満の重作業従事者) 一一五

その妻(〃〃) 一〇〇

(3)  申立人の生活費

63,250円×(65/100+115+100+65) ≒ 10,740円

(5) 以上諸般の事情を考慮すれば、相手方は申立人に対し婚姻費用として別居した日の翌日である昭和四七年七月一五日以降同居にいたるまで、毎月金一万一、〇〇〇円を分担するのが相当である。したがつて、昭和四七年七月一五日以降昭和四八年二月末日までの婚姻費用合計額金八万二、五〇〇円を本審判確定と同時に、また、昭和四八年三月分以降同居にいたるまでは毎月金一万一、〇〇〇円を毎月末日かぎり持参または送金して支払うのを相当と思料する。

三、よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 若林昌子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例